「PERSONA」など数々の市井の方々のポートレートを残した鬼海弘雄さんの作品を見たことがある方は多いのではないでしょうか。
代表的なもので、浅草寺「宝蔵門」の赤い壁をバックにポートレートを撮り続けた作品やインドの子供たちを撮影したものは有名ですね。
私が、鬼海弘雄さんを知ったのは、いつだったか?
「浅草の赤い壁の前で街の人を撮っている写真家さん」として認識していました。
ある時、フォトグラファーの木村直軌さんに、写真集「PERSONA」を勧めていただいて、目の前でそれを改めて見て少し認識が変わりました。
なんとなく「知ってはいた」から、改めて作品を写真集を通して見直すことは違いますね。
なんとなく知っていた頃は、
「浅草にいる変わった人を撮影し続けた写真集」といった認識でしたが
きちんと写真集に向き合って見てみると奇異な人々を撮っていることよりも
「どうしてこう撮れるのか」が気になりました。
鬼海弘雄さんが選んだ土地「浅草」には、私も縁があって(徒歩圏内に菩提寺がある)、以前より通っていました。
浅草に一般の方はどんなイメージを持つのでしょう?
雷門と下町、人力車と天丼などの観光地的なものでしょうか。
私にとっての浅草は、「人」です。
ユニークな人が多い。
東京のお笑い発祥の地だからか?「人」に魅力があるんです。
人間力の強い、強そうな方が多い気がします。
これは、原宿や渋谷とは、全く違うんです。
古い建物が多く残っていて歴史的な建造物もありますが、それは一部の側面にしか過ぎません。
浅草の「人」に声をかけて写真撮影をするのは、合点がいくんです。
(人に声をかけて写真を撮るのは、原宿でも渋谷でも銀座でも良いしやりやすいんですけど)
前述の木村さんに勧められて「PERSONA」を見た後に、自分で同じ場所で同じことをするとどうなるのだろう?と興味がわきました。
改めて、実際に撮ってみたのが1年ぐらい前(それ以前、5年ぐらい前に、雷門横の赤い壁の前でポートレートを撮影したことがあるのですが)。
日常の街歩きスナップと共にポートレート撮影は、私のメインテーマでもあるのでどう撮れるのだろうか?と。
人として、魅力を感じた人に声をかけて、感じたオーラをまとった人物をそのまま写真にする。
外面だけでなく、感じた内面まで表現できるのかが鍵なのかなぁ。
【閑話休題】
女性ポートレートを撮影していると陥りがちなのが、かわいい・綺麗な人をかわいく・綺麗に撮れて満足してしまうこと。
もっと勘違いしてしまうと、
可愛い・綺麗な人をそのまま撮れるから写真が上手いと思ってしまうこと。
技術でもなんでもなくて、ただカメラの性能であることを認識できていない。。
モデルの表現した表情をそのまま定番の構図で撮影して、満足してしまう。
……自分で書いていて、耳が痛い(笑)
今は、カメラが瞳に自動で合焦してくれる時代ですから簡単なんです。
話しを戻しつつ……
閑話休題中に書いた、状態に陥らないための簡単なチェック方法。
鬼海弘雄さんの「PERSONA」を真似すればいいんです。
浅草の赤い壁まで行かなくてもいいし、行ってもいい。どこかの壁前で同じように、
通りがかりの人に声をかけて撮影すれば、自分の未熟さが認識できます。
足元にも及ばないことが、比べるまでもないことが認識できます。きっと。
私は、時々これをする様になって、凹みまくります。
写真集を見て、自分が撮ったものを見る。泣けてきます。
もう写真撮りたくない。とも思いますし、もう一度、撮影に行きたくもなります。
ポートレートの難しさを痛感します。
浅草と言う好立地でありながら、背景を捨てて(無機質な壁だけを背景にして)、モノクロームで撮る難しさ。
照明も逆光も使わず、特別なレンズも使わない。
鬼海弘雄さんの使用カメラは、ハッセルブラッドの500C/M。
レンズは、標準レンズの80mm F2.8だそうなので、プラナーかな。
35mm換算で、焦点距離が44mmぐらい。
これのみで、撮影を続けたそうです。
本当に特別なことがないんです。きっとどんなカメラでも撮影可能なのでしょう。
被写体を見つける。言葉を交わす。ファインダーを覗く、シャッターを切る。
これだけのこと。
これだけなのに、表現に大きな大きな大きな差がつく。
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